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再考!日本映画
第3回 プロデューサー・井関惺

井関惺氏
(株)タラ・コンテンツ
プロデューサー
井関惺氏

シネコンや製作委員会の功罪?日本映画を巡る様々な問題点 なぜ常に海外と手を取り合い、合作を作るのか?国を跨いだ煩雑さと引き換えに手にするものとは?国際派プロデューサー・井関惺の真意を聞く

約20年にわたり、海外との合作映画に携わってきた映画プロデューサー・井関惺。『さらば、わが愛/覇王別姫』でカンヌ映画祭パルム・ドールを受賞したチェン・カイコーを起用し、日本、中国、仏、米から製作費約60億円を集めて作った歴史大作『始皇帝暗殺』はじめ、世界中の才能を映画という枠の中で昇華させてきた人物だ。しかし、本人的には「合作」ではなく、あくまで「インターナショナル・フィルム」という表現にこだわるところが、その活動の思想を物語る。興行的には豊かになっているものの、なぜ日本映画の国際化はこんなにも遅れているのだろうか。常に“世界”を見て、純粋な日本映画を作らないプロデューサーの姿に、その答えのひとつを見る。

大手メジャーによるスクリーン支配

シネコン普及によるスクリーン占拠とうのは、実はハリウッドが進めた世界戦略なんです。米資本が入ったシネコンを遍く各国に行き渡らせ、ハリウッド映画を世界公開するネットワークを組織した。ただ、全世界の市場シェアをハリウッドが取り、各国の映画産業が潰れてしまった場合、当然文化摩擦が生じます。そこで彼らが考えたのが、各国の母国映画とハリウッド映画が共存できるマーケット作り。結果、現地の映画とハリウッド映画の組み合わせで市場が形成される─これが世界各国のスタンダードになって、構造的にハリウッド以外の外国映画は、輸出の可能性がほとんどなくなってしまった。

そのハリウッドによるスクリーン支配に抵抗を示したのが、東宝なんです。ヴァージンシネマズを買収して、TOHOシネマズの数を増やすことで、磐石な興行網を構築していった。そして系列スクリーンで、自社配給のものとハリウッド映画を全国一斉上映する。現在日本には一億六千万人超の映画人口、三千〜四千億円規模のパッケージ市場が存在してますから、全国を網羅する巨大チェーンと地上波による大量宣伝の強みを発揮すれば、国内ビジネスとしては十分やっていけるんです。

もちろん、資金の回収がビジネスとして重要なのは当然です。ただ、映画は文化の反映であり、クリエーションであることも確か。ヒットのパターンをなぞった画一的な作品ばかりが蔓延する現状に対して、個人的な違和感は否めない。世界マーケットで勝負できる作品が全く作られていないことにも、プロデューサーとして寂しさを覚えます。国際的な評価という意味では、日本にも黒澤・小津・溝口・成瀬といった偉大な先人が存在したわけですからね。

加速する映画のTV化

日本映画のプロモーション方法にも、問題があると考えています。マーケティング分析に基づき、年齢・性別・職業などでターゲットを絞り込む宣伝で全部を回そうとするから、そこからこぼれる作品は排除されてしまう。加えて、本来は豊かな作品も“癒し”“純愛”といったキーワード的な言葉に簡略化され流通してしまうことで、何かを失っているかも知れない。それが、スクリーンを媒介として映画と観客の間にあり得たかも知れない多様なコミュニケーションの可能性を限定したり、最悪の場合摘んでしまうこともあり得ますからね。でも本来、映画館というのは観客と映画がバリエーション豊かな対話を楽しめる場であったはずなんです。

TVは情報を分かりやすい言葉に還元し視聴者に流す、一方向のメディア。そこが、観客の解釈によって多面的な表情を見せる映画との最大の違いだと。ただ最近のヒット作を見ると、マーケティングから逆算して作られる貧しい映画が主流になり、映画のTV化、映画館のお茶の間化が急速に進行している。TVまがいの映画がスクリーンを占拠し、単純なキーワードに条件反射するばかりの観客が大多数になってしまったら、それは日本の映画界、ひいては文化状況にとって深刻な事態と言えます。

日本映画でも大バジェットの映画が製作されるようになっていますが、実際見てみると絵葉書的なイメージがCGで描写されるだけで、エキストラを見せるといった映画的なスケール感は皆無だったりする。それらの状況を複合的に見ると、好調と喧伝される日本映画に対し、僕が危機感を抱いていることは事実です。

製作委員会方式の問題点

これらの危惧を抱く原因のひとつにあるのは、複数の企業の参加で組織される製作委員会というシステム。TV局や出版社、商社や芸能事務所から出資者を募り、委員会を組織した場合、参加メンバーの意見がおしなべてサラリーマン的になってしまう。各メンバーがそれぞれ会社の立場を代表して発言するわけですから、もちろん個人に問題があるわけではない。“製作委員会”という仕組みが抱えた宿命なんです。しかし、残念ながらそういった話し合いを重ねるほど、映画が平準化していく傾向があり、映画の力が損なわれていく場合が多い。

映画製作というのは、大人数の共同作業であると同時に、最終的には極めて個人的なものなんです。だからこそ、スタッフやキャストの映画に賭ける情熱・想いを集約する個人が、最終的な責任を取らなければならない。それに映画の現場は連日トラブルの連続で、多数決で物事を決定していく余裕なんてないんです。つまり、映画作りの実際と製作委員会という方式は根本的に矛盾している。

井関惺氏プロフィール

65年(株)日本ヘラルド映画に入社。宣伝部・国際部を経て、81年(株)ヘラルドエース取締役となる。89年、日本フィルム・ディベロップメント・アンド・ファイナンス(NDF)設立。また、サンダンス国際映像作家賞の国際審査員として、若手育成にも尽力している。『戦場のメリークリスマス』(83)、『乱』(85)、『ハワーズ・エンド』(92)、『クライング・ゲーム』(93)、『スモーク』(95)、『始皇帝暗殺』(98)ほか代表作多数。

僕の宿願は、日本人の手による日本人が出演する映画。ただ日本の映画製作システムの現状だと、それは難しい。だから僕は、海外との合作という形で映画を製作し、自分で最終的な責任を負うやり方を選んでいるんです。

現在製作中の『墨攻』は、春秋戦国時代の中国を舞台にした日本のコミックスが原作で、日本・韓国・中国合作の時代活劇になります。国を跨いでの製作の場合、ビジネス慣習や税法上の違いなどのやっかいな問題も出てきますが、皆、監督や製作者の想いを最大限汲もうとする傾向はある。その中でなら、僕も個人として責任を負うことができると思っています。

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