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- 大高:
- では、この作品の何が観たくて劇場に足を運んだのだろう?
- 掛尾:
- まず、「つながりを求めたい」「何かをやりたい」という不安定な三十代四十代の女性にとって、登場人物たちの生き方、感じ方に共感したということがあると思います。それが例えば「ヴァイブレータ」のヒロインみたいな、強いメッセージ、強い孤独感ではダメだった。ある種のファンタジーでしょう。歳をとって皆で食堂ができるというのは。
- 大高:
- これはファンタジーではないですよ。
- 掛尾:
- いや、でも鑑賞者にとっては、現実にはこんなことは有り得ないと分かっていても、この世界に限ってはその中に感情移入しているわけじゃないですか。
- 大高:
- こんなことは有り得ない、とは思っていないでしょう。この映画って描かれてないものが多くて、ただし3人の描かれていない日本における生活がチラチラ見えてくるわけですよね。ここがポイントで、それを確信犯的にやっている。
- 掛尾:
- だからそのときに、小林聡美以外の、何かを失ったり探したりしにきてている人たちに、やはり多くの観客は感情移入できたと思うし、説明をしていないからイメージの幅が広がったと思う。なおかつその観客は、実際に北欧でレストランが出来るわけないというのを知っていて、でもこの一時間半に感情移入して、気持ちのいい時間を過ごせるということが僕は「癒し」であり、「ファンタジー」であるという言葉を借りたわけです。
- 大高:
- それは癒しというのかなあ。この映画が発散してるものに、何となく「癒し的」なものがあるとは思います。ただシチュエーション的にはフィンランドという、かなり癒しを感じさせる環境の中で日常的なものが結構力強く描かれていて、女三人の生き方自体は、かなりリアルですよね。そのリアル感があるから、観客は自分たちがフィンランドの空間で癒しを感じる以上に、自分たちの生活の中の日常性をイメージできる。
- 掛尾:
- なるほど。
- 大高:
- 小林聡美の演じる主人公は、もの凄い強い精神の持ち主なんですよ。合気道を小さい頃からやり続けているとか。おそらく40ぐらいの年齢で、それまで一生懸命に働いて貯金して、フィンランドに来た。彼女がフィンランドの言葉を喋れるという所に、目的意識をしっかりもっている強い女性像が見えます。ここで絶対勝負をかけてやろうという強い意志がある。これはハードボイルドですよ。表面的には食堂にお客さんが入らなくてもゆったり構えているけれど、実はある段階でお客さんが来なかったらシナモンロールを作るという戦略を持っている人なんだよね。
- 掛尾:
- その強さは、繰り返すけれど、「ヴァイブレータ」の主人公の痛みを発信するようなキャラクターよりも、小林聡美の発信の仕方が、観客には受け入れられたということですかね。
- 大高:
- それはありますね。この種の強さって、企画者か監督か原作者なのかは分からないけれど、その映画に携わった人たちの強さですね。「これだけは外せない」というこだわりがこの映画の中に、彼女たちの中にあると感じました。
- 掛尾:
- 6年位前に、やはりシネスイッチで公開された、真中瞳演ずるOLを主人公にした「ココニイルコト」という日本映画があって、僕は佳作だとおもったのですが、あまり観客が入らなくて、同時期に、渋谷bunkamuraで「彼女を見ればわかること」という外国映画があり、そっちのほうが全然ヒットしたんです。その時に、日本人の観客が日本人の同時代の地平に居る女性が悩んでいる姿を見ることは直接的過ぎるのかなと思ったんですよ。ハリウッド女優がやっているとフィルターというか、ワンクッションがあるから。
- 大高:
- リアルは、ワンクッションあるから受け入れられるというのはありますね。
- 掛尾:
- この場合、先ほど、癒しか、リアルか、ハードボイルドかという話でしたが、「リアル」といっても、ある種の生活臭のない部分が好まれたのでしょうね。この設定がフィンランドではなく、例えば韓国・プサンだったら辛いかなと。
- 大高:
- リアルな設定ということに関して言うと、例えば小林聡美がお金を貯めて成功するために、日本やアメリカの大都会でガンガン働くというようなドラマでは駄目なんですよ。あからさまにやっちゃうと駄目なんですよね。頑張り屋なところが、押し付けがましくなく、静かな共感を得るように描かれているのがいいんでしょうね。
- 掛尾:
- また、共感する世代層が微妙に違っていて、きちんと配置されている。もたいまさこの層は、介護が終わった位の年齢で、そういう女性が一人でふらりと海外に行ったりしている。小林聡美は、脱サラをして、カフェを持ちたいというような、もう少し若い世代ですよね。
- 大高:
- その通り、世代的な違いもあると思うけれど、確かにこの人たちは三人ともフィンランドに行く動機が違うわけですよ。偶然だとか、介護が終わったとか。ただ、共通しているのは、決意してどこかに行くということなんですよ。我々はなかなか行けないでしょう。色んなしがらみがあって。でもこの人たちは行ってしまうわけです。その「決意」の先は、フィンランドでなくてもよくて、人間はどこかで決意すべきだということを描いているわけですよね。それは、「開いていく」ということにつながり、そうなると「癒し」とはまたちょっと違う広がりがあるわけですよ。映画に「癒し」の要素がないわけではないんですが。
- 掛尾:
- 「癒し」の意味を広義にとるか狭義にとるかはあると思います。いずれにせよ、「ALWAYS 三丁目の夕日」も「かもめ食堂」も、ほんわかした世界観はありますよね。
- 大高:
- それはありますよ。匂いとして出るんじゃないのかな。今、人々は嫌なものは観たくないんですよ。それを女性たちは嗅覚として分かってしまう。あ、「猫が好き」の小林聡美が出てるよ、という感じで見に行く。あのほんわかした感じを、匂いとして察知する。ただそうした匂いを発散する映画には、作品の中身に勿論ヒントがあるんですよね。作品の中身とパッケージって、全然違うものではないから。
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