| 掛尾: |
さて「YAMATO」の話に戻ると、日本人にとって富士山が単なる山ではないのと同様に、『大和』という船が、50代以上の年代には単なる戦艦ではない、特別な意味があるんだなと感じました。『戦艦大和』にはそれだけ吸引力があるんですね。
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| 大高: |
この作品は、最初は東映京都撮影所の企画ですが、メインでやったのは坂上順プロデューサーですね。角川春樹プロデューサーが参画していますが、角川さんは後から加わったわけで、これは間違えている人が多いのではっきり言っておきますが、「YAMATO」はあくまで東映の企画です。
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| 掛尾: |
もっとナショナリズムの映画なのかなと思ったら、思想的ではない映画になっていたので、それが良かったのかなと。それから劇中、渡哲也の「大和が負けることで日本が変わるんだ」というようなセリフがありましたが、こういう、今までの映画では決して言わなかったであろうことを盛り込むことで今の時代に成立したということも言えるのでは。また、主人公の乗組員たちは15歳で、今、戦後60年だから、彼らが生きていると75歳。今ギリギリ大和を知っている年代がいるという企画ですよね。この「15歳の乗組員」という目線から戦争を見たところも、これまでの戦争映画とはちょっと違うでしょう。同じ戦争映画でも「二百三高地」、「大日本帝国」、松竹の「226」などとは印象が異なります。つまり、下級兵士にとって不条理な状況を受け入れざるを得ないというだけでは、現在の観客には受け入れられないのでは。
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| 大高: |
非常にシンプルな映画ですよね。一つのシチュエーションドラマなんだと思います。「戦艦大和が沈む」というのが自明のものとして動いていて、お客さんもそれを知っていて、ある意味安心して見ている。負け戦さを背景にした、母と子のドラマ、恋人とのドラマ、というように感情を盛り上げる起伏が連鎖しているんですよね。私も号泣してしまったんですが、それは理屈ぬきに観客の感情にガンガン訴えかけるものがあったからです。東映がこれまで連綿と作り続けてきた作品、日本人の感情の襞に入り込んでくる独特の情緒性が、「YAMATO」の根底にはあるんですね。
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| 掛尾: |
今回僕が印象に残ったのは食べ物ですね。反町隆史演じる炊事長が、沖縄に向かう前にお菓子を部下に食べさせたり、広島に帰港したときに、隊員のお母さんがぼた餅を持ってきたり、友人の戦死を彼の母親に伝えに言った松山ケンイチが、拒絶された翌朝に弁当をもらうとか。中村獅童が病院を抜け出したときも、船に戻るとまず飯を食う。あの時代、食べるということがいかに大切だったかということです。
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| 大高: |
それは情緒性を盛り上げる重要な要素になっているわけですよね。団子を食っただけで、いや見ただけで泣ける人もいるわけですよ。この佐藤純彌という東映の監督は、フィクションとしての情緒作用、効果というものを非常に心得ている演出家です。体で会得している感じがあります。
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| 掛尾: |
そういう意味では佐藤監督を非常に評価しますね。最近はあまり見ることができない、映画らしい映画という感じでした。
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| 大高: |
それから戦争映画、という括りで考えてみると、去年「ローレライ」や「亡国のイージス」が20億台そこそこのヒットを出しましたが、これらは擬似戦争映画でしょう。若い世代が、新規軸としての戦争映画を打ち出したけれど、やはり「YAMATO」の持っている、この情緒性にはかなわない。
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| 掛尾: |
「ローレライ」は、さっき言った映画らしい映画という意味では薄味で、一方「男たちの大和」は映画会社が本気で作った映画という気がしますね。その違いを非常に感じます。
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| 大高: |
「ローレライ」の今日的なゲーム性、擬似性を評価する人もいると思いますが、やはり、日本人には根付かないというか伝播力が薄い気がします。ただ、東宝には出来ない映画でしょうね、「YAMATO」は。
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| 掛尾: |
今、テレビ局が関与する映画が多いのですが、そこから、こういう映画はなかなか生まれないでしょう。今のテレビ局主導による映画作りにある危うさをも感じさせますね。
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| 大高: |
テレビ朝日系列は後から入っていますが、これはあくまで映画会社主導、撮影所主導の映画ですからね。その点において、また作品の作家性、娯楽性という点でも、「YAMATO」は論ずるべき点が多い映画ですよ。
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