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| 大高: |
漫画も小説も含めて、ベストセラー原作を映画化しても、当たるものと当たらないものがある。そこにある差は何なのか? 当然ですが、売れている原作しか映画化しないわけですよね。そう考えてこの作品のヒット要素を捉えると……やはり「中島美嘉」と「宮崎あおい」という俳優の役割は大きかったですよね。誰がこういう配役をしたのかは分からないけれど、ハマっていた。特に宮崎あおいは、これまで演じてきたようなキャラクターではないですよね。
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| 掛尾: |
去年の「下妻物語」は参考になった気がします。深田恭子と土屋アンナの演じた、似ていないけれども通じ合うというキャラクターが。
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| 大高: |
ここ数年の日本映画のキャスティングはかなりイージーで、適材適所ではなく、人気のある俳優という側面だけをもとに配役をしてきた面が非常に大きかったけれども、最近は、俳優の人気や個性と、映画のキャラクターのコンビネーションをより重要視するようになってきていますね。プログラムピクチャーのスターシステムと違って、今は一回性の映画出演だから、そうした起用方法はかなり大変だとは思いますが、プロデューサーたちの努力でうまくいくケースが出てきたと思います。
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| 大高: |
「NANA」は「女の子映画」であると同時に「音楽映画」であり、「音楽をいかにきちんときかせるとか」いうのが映画のコンセプトになっていると思うんですが、そこで誰をナナに起用しようかというとき、「中島美嘉」の存在感と歌がこの映画にハマったということですよね。女性ヴォーカリストを起用する際、歌はうまいけれども演技はできないということが多いので、そのふたつをこなせる「中島美嘉」という存在は得難いキャラクターだったと思います。
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| 掛尾: |
「音楽映画」という視点で考えるとき、ガチガチのミュージシャンが出演して、「本当のロックンローラーはこんなんじゃない」とか言い出したら成立しないわけで。ミュージシャンは少なからずそういった自分の強い生き方を打ち出すアイデンティティがあるわけじゃないですか。このキャスティングをしたプロデューサーは凄いと思いました。
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| 大高: |
中島美嘉からすると、ミュージシャンのスタンスとしてこの作品に出演することがプラスかマイナスかを考えると思うので、彼女としてもこれは賭けですよね。ミュージシャンとしての自分のスタイルを変えられたくないと自己主張をしていたら、こういう役はできないだろうし、しかしかつてはそういう自己主張をする人がロックンローラーでありミュージシャンであったとも言えるんですよ。もの凄く、突っぱっていたわけです。とりあえず同じメンバーでの「パート2」が決まったということは、これは中島にとっては、「プラス」であったと判断したということでしょう。
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| 掛尾: |
スピリットあるロックンローラーだと、これは何だということになるかもしれないけど、「電車男」のオタクといい、この作品のミュージシャンといい、最大公約数の観客が見たい対象に仕立てあげている。
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| 大高: |
プロデューサー、監督が、ミュージシャンである中島美嘉側とどういう交渉をしたのかは分からないけれども、相当のコミュニケーションがあったと思います。そしてそれを監督がよく汲んで演出した。そういう意味では監督の起用もうまいですよね。
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| 大高: |
漫画『NANA』の映画化は色んな人が申し込んでも、なかなか原作者が承諾しなかったと聞いています。
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| 掛尾: |
「NANA」はプロデューサーが強くクリエイティブや方向性に対してコントロールしていたと思うんだけど、それは個人のプロデューサーがやっているというより、構成している委員会のスタッフが暗黙に合意しているようなチームワークを感じます。
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| 大高: |
合体プロデューサー型というか、まさに製作委員会の象徴的な感じがする。
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| 掛尾: |
個人がでてこなくて、コントロールが機能するというのも不思議。原作『NANA』の世界観を紙から映像に変換するときに、プロデューサーや監督や脚本家が共通の強い認識を持っていたんでしょうね。そうじゃなきゃあれは作れない。
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